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1期生が東京五輪の聖火ランナーに
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葛飾商業の歴史に1ページを刻んだ。晴れやかに行われた40周年記念式典 |
平成14年(2002年)12月25日に行われた「創立40周年記念式典」の式辞のなかで、高橋は葛商創立以来の歴史を簡潔に語った。余り知られてないエピソードにもふれている。
「東京オリンピックといえば、1期生が葛飾区の区間ランナーに選ばれ、名誉ある大役を果たしました。遠くギリシャのオリンピック発祥の地から運ばれてきた聖火とともに走る姿は、まさに葛商生が輝かしい未来に向かって、希望に燃えてスタートする姿を象徴するものでした」
そして、生徒に望むこととして、葛商の校訓である「自由・責任・勇気・和」を1つひとつ、ひもといていった(別掲)。
続いて来賓祝辞に移った。
最初に登壇した教育庁指導部高等学校教育指導課の大林誠・指導主事は「情報化・国際化・少子高齢化が進むなか、教育の果たす役割は、ますます重要になっています」と話した後、葛商の検定合格率の高さにふれ、「きめ細かい指導をされた成果」と的確な評価の言葉を。
次に登壇した第6代枚長の黒柳正雄は数学が専門だけに、数字を駆使したスピーチ。時代の変化、特に経済発展と人口の推移の関係を述べ、生徒たちに「大いに頑張っていただきたい」とエールを贈った。
来賓紹介、祝電披露の後、登壇した生徒代表の大場枝里子は平成14年(2002年)11月に生徒会長に選ばれたばかり。「先輩が築いた、よき伝統を引き継ぎ、後輩へと伝えていきたい」と力強く決意を述べた(別掲)。
続いて吹奏楽部の伴奏で、校歌を斉唱。若々しい歌声で、さらなる発展を誓った。
体育館に鳴り響いた津軽三味線
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上・場内を圧した津軽三味線
下・吹奏楽部の演奏が花を添えた |
校歌を歌い、第1部の「記念式典」は終了。続いて第2部の「記念演奏会」が始まった。
吹奏楽部の演奏の後、津軽三味線の注目ユニット「一大・典美」が登場した。平成12年(2000年)の「津軽三味線全国大会」で、弟の福居一大が3代目チャンピオンに、姉の典美が準優勝に輝いた実力派ユニットだ。
トークをはさんで「津軽じょんがら節」「クリスマス・キャロル」などを披露。強烈な津軽三味線の音色が体育館に鳴り響いた。
演奏終了後の葛商生たちの感想は「感動した」「私も津軽三味線を弾きたい」など、絶賛に近いものだった。
すばらしいクリスマスプレゼント
午後1時からは山田洋次監督の「記念講演」、続いて「祝賀会」が東京マリアージユで行われた。講演には一般区民ら300人が詰めかけた。
講演のタイトルは「寅さんと学校」。山田監督は「今日は寅さんの母校が創立40周年を迎えたと開きまして、『これは何としても伺わなければ』と思って参りました」と寅さんと葛商の関係から話を始めた。
「おそらく寅さんは第1期生か2期生だと思うんですね。葛飾商業は初め、定時制高校としてスタートしたと開いています。今から40年前の葛飾は町工場がたくさんある、働く人の街でした。昼間は働き、夜は学校へ行く。今では『向学心』という言葉は廃れてしまった感がありますが、それこそ向学心にあふれる優秀な若者が、この学校に集まったんだろうと思います。寅さんは中退してしまったけれど、彼の同級生たちは、卒業して、さまざまな世界に飛び込んで活躍し、今や中堅、いや、もう上層部にいるはずですね、そうした人たちがたくさんいるんだということは、いつも考えていました」
講演は『男はつらいよ』シリーズ、失われた日本の風景、名優・渥美清の死、『学校』シリーズなどを題材に淡々と進む。決して餞舌ではないが、心にしみいる語り口だ。 |
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