’11東北センバツ・春の絆:背負った重い決意 得たものも大きく /宮城
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開会式に臨む東北ナイン=
阪神甲子園球場で、竹内紀臣撮影
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◇支えてくれた全国の人々
第83回センバツ大会に出場した東北は1回戦で大垣日大(岐阜)に0−7で敗れた。「全国制覇」を掲げ練習を重ねてきた東北ナインだが、東日本大震災に遭い、満足な練習ができなかったばかりか、避難生活を送り精神的に追い込まれた。大会開催決定後は「被災地を代表して戦う」という高校生には重い決意を背負った。悩み続けたナインや指導陣だが、甲子園では野球に集中し持ち味の全力プレーを見せた。つらい道を歩んだ東北ナインだが、センバツ出場で得られたものも大きかった。【三村泰揮】
「プレーを見せて勇気づけたいと偉そうなことは言えないが、一人でも多くの人に元気になってほしい」
センバツ開催が決まった18日、上村健人主将(3年)が絞り出すように話した姿が印象的だった。野球部代表として取材に応じる役割。震災後、東北への注目はいや応なしに上がった。一言が誤解を生んでしまうリスクを考えれば、上村主将はとてつもない重圧を背負っていたのだろう。
上村主将をかばったのが、武内充総監督(61)。震災後は「震災に遭ったばかりで、上村もまだ頭の整理がついていない状態だ。少し加減してやってくれ」と報道陣に要望した。この時、そばにいた上村主将の顔が一瞬だけ震災前に戻ったように見えた。
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支援物資を運搬する東北高の
野球部員=仙台市泉区の
東北高で
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甲子園で全力プレーを見せた東北だが、地震後は満足な練習ができなかった。学校周辺の住民を支援しようと、水くみをしたり、交通整理などのボランティア活動を続けた。
元気な姿を見せていたナインだが夜になると、避難していた柔道場の畳の上で、寒さに震えながら「お前の親や友達は大丈夫だった?」と小さな声で安否を確かめ合ったという。不安を抑えることができず、野球どころではなかったと思う。
食事にも苦労した。小川裕人遊撃手(3年)の母久美子さん(50)は「息子がバナナ1本でボランティアや練習に励んでいたと聞いた」という。そんなそぶりを見せず、甲子園でプレーする息子を見て、久美子さんは涙が止まらなかった。
「被災地を代表して戦う」。重い決意を背負って挑んだ東北。そのアルプススタンドには、東北だけではなく、関東や近畿地方からも大勢の応援が駆けつけた。中川貴文右翼手(3年)は試合後、泣きながら応援団に対し深々とお辞儀をした。「悔し涙ではない。自分たちを応援をしてくださった人々を見た時、感極まった」という。
センバツ開催には賛否両論あったが、東北ナインの活躍に勇気をもらった被災者もいるだろう。一方、東北ナインも全国の人々から勇気をもらった。甲子園を舞台にした勇気の交換。東北ナインや宮城に限らず、センバツに関わった人々の財産になったと信じている。
.第83回センバツ:開会式 東北ナイン、力強い歩み 「大きい拍手うれしい」 /宮城
第83回センバツの開会式が23日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場であった。東北ナインは球場を包む約1万2000人の拍手に迎えられ、緑の芝の上を白いストライプのユニホーム姿で力強く歩いた。大会第6日の第1試合で大垣日大(岐阜)と対戦する。
式典では東日本大震災の犠牲者を悼み、サイレンとともに黙とう。東北の名がアナウンスされ、選抜旗を持つ上村健人主将(3年)に率いられたチームが歩み出すと、ひときわ大きな拍手が長く続いた。
選手宣誓では、創志学園(岡山)の野山慎介主将(2年)が「人は仲間に支えられることで、困難を乗り越えられると信じる」と被災地にメッセージを送った。
上村主将は「大きな拍手がうれしかった。小さなころから夢に見てきたこの場所。野球ができるだけで幸せだ。全力プレー、全力疾走を見せたい」と表情を引き締めた。【野上哲】
◇応援実感、前向きに
○…開会式で東北のプラカードを持ち、選手を先導したのは同校生徒会長の川名理玖(りく)さん(17)=富谷町。自身は無事だったが、祖母(82)が余震で足を骨折。19日に関西入りするまで自宅近くの公園で給水活動を連日手伝った。開会式を終え、「全国の皆さんが応援してくれていると実感し、少しでも前を向こうと思った」と川名さん。すぐに宮城に戻って募金活動などを始めるといい、「当日は来られないが、遠くからでも甲子園に気持ちを伝えたい」と思っている。
2011年センバツ 大会6日目 東北高校 3(動画あり)
2011年センバツ 大会8日目 大垣日大(動画あり)
2011年センバツ 東北高校(動画あり) |