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    「おかげ」をいただいての誕生●笈川達男(元本校教諭、元専修大学教授)
  人の生活は多くの人々に支えられ、その「おかげ」をいただくことで成り立っている。また、その「おかげ」への自分なりの懸命の報恩に、毎日の生活の意義を求めるべきでありたいものと考えている。わが葛商の歴史も多くの「おかげ」をいただくことで築かれてきた。その一端をご紹介したい。
  枚地を一方形に
  当初予定された校地は方形ではなく、出入りのあった地形だった。ムダのない、より望ましい長方形の現状に定まったのは、この地域選出の村田字之吉・都議と葛商区新宿支所長の遠藤直さんの大変なご尽力によるものだ。銘柄品の「金町小カブ」「金町ネギ」の耕地を割いて提供された隣接地主さんの「滅私的ご理解」があってのことなのである。
  ◆募金活動
  当時は都立高運営も都に頼らぬ自助努力を求められ、PTAなどに資金援助をお願いするのが常だった。葛商誕生の時は都の当初の予算内容を超えて、「暖房を石炭に頼らずガスで」「校長室に応接セットを」「放送設備をよりよいものに」と、ささやかともいうべき切実な願いから募金がなされたのである。
  葛商開校までに募金活動を完了したいと念じつつ、その任に当たる者は山田校長と定時制の笈川のたった2人しかおらず、難儀なことだった。定時制の始業前に、朝から毎日1人自転車で走り回った思い出がある。
  何せ「あそこに商業高校が造られる予定なのです。ついては、その振興の基礎資金として金壱封を」という誠に身勝手な口上での活動だった。
  土地の件のお2人のお口添えと、社員が定時制に通うご縁から、三菱製紙中川工場の工場長に代表になっていただいた。三菱江戸川化学にもご参加いただき、半年余の募金活動が開始された。金町商店街の金風堂さん、双葉さん、柴又商店街の川甚さん、川千家さん、おだんごの高木家さんなど多くの人のご理解を徐々にいただくことができ、おかげで340万余円の募金が集められた。
  わけても高木家のお爺ちゃん(今のおかみさんのお父上)は「よ−し、おれが先頭に立ってやる」と同道の上、口をきいてくれたが、まさに合掌の思いであった。初対面で募金に応じてくれる人は皆無であり、応じてもらうにしても、平均5〜7回の訪問の上での募金だつたのである。
  この募金のおかげの最たるものは、住吉小の脇から葛商まで、延々と引いた小口径のガス管といえよう。これで石炭ストープのわずらわしい管理から解放されたのである。
  ただし、資金不足とあって、2棟の校舎の1棟のみ引管でき、もう1棟はプロパンガスを余儀なくされた。

  ◆剣風人格を目指す剣道部
  「勝敗のみにこだわらず、正しくステキな剣さばき」をモットーに剣道部の歴史はある。部創設の時のけいこは校舎屋上で行われた。
  ザラザラ、熱い、冷たい、雨じゃダメの条件。加えて、当初防具は2組のみ。指導する当時2段の笈川は防具をつけずに生徒と対時。ま、よくやったことである。
  「コツコツがコツ」を合言葉に、それぞれが耐えた思い出を共有して、毎年欠かさずその昔の部員の会(剣風会)が行われ、30人余の参加をみている。
  その後の成長で、6段3人を出すし、笈川は教士7段、元都高体連剣道部長ということである。現存を念ずるが「剣風人格」の部旗のもとに集った生涯の友である。

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