1回生から多分20回生までの卒業生はご存じだと思いますが、なぜか我が母校葛飾商業の正門は西側にありました。
京成高砂駅や国鉄の金町駅から通学するのには現在の東側に正門があったほうが便利だったのですが、なぜ西側に正門があったかは葛商の七不思議のひとつとして今でも語り草になっている。(…と思っているのは、私=記者だけかもしれません。それに、葛商七不思議のあとの六つは何があるのかと問われると困ってしまうのであります。)
さて、疑問の答えは、葛商の西側を走っている貨物線にあります。私たちが在学した昭和40年の初めのころは岡蒸気が長い貨車の列を引いて走っていました。授業中、ボケーッとして、貨車の車両数を数えていたのは私だけではないと思います。当時は、今と違って40両から50両の貨車を引いて岡蒸気が走っていたのでございます。
えっッ!岡蒸気って何だ?ですって。これはまた失礼いたしました。今のお若い方には解りにくいと思いますが、今風にいうとSL(蒸気機関車)のことでございます。
この貨物線の沿線は水田や畑が多かったのですが、沿線に住宅がポチポチと建ち初め、なんてったって、都立の商業高校まで出来てしまったのですから、客車を走らそうという計画が持ち上がったようなのであります。確かに金町と新小岩を結べは常磐線と総武線を結ぶ交通網として利便性があったと思うのであります。
そして、金町を出て最初の駅が葛商の前に出来るということから、正門は西側に作られたのです。
平成12年3月14日の読売新聞江東版に、このことを報じる記事が出てました。新聞の地図を見ると、確かに葛商の前に駅が建設される予定で、用地まで確保されていたのです。客車運行の夢は今も続いているそうですし、スペースもあって複線も可能ということですが、今ではJRも葛飾区も、採算が合わないということで「白旗」を上げてしまっているとのことです。
ところで、この貨物線には正式な名前があるのですが皆様はご存じでしょうか? JR新金線というのだそうです。新聞を見て私も初めて知った次第でございます。
以上が葛商の七不思議の一席でございます。どなたか、あと六つの不思議をご存じでしたらお知らせ下さい。私も気になってしょうがないのでございます。
(記者:4回生 根津 秀夫)