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  2006年 春 高校野球物語
記事:同窓会会長 提橋和男
2006.4.1

最初にわが母校、都立葛飾商業高等学校の野球部の話である。
平成17年4月1日異動で、野球部を指導できる教諭がいなくなってしまった。これは、母校始まって以来のことである。同時に学校長、副校長もか変わったため、17年度は学校運営について過去のことを知るものがいない状態でスタートすることになった。

写真1
7/23芝浦工大戦・惜敗。インタビューを受ける選手
写真2
インタビューを受ける選手たち

異動された前監督山田先生は、知人で修徳高校OBの 柏原周作氏(28)を母校に紹介して下さり、同氏が監督に就任された。だが、ここでも問題が起こる。都立高校は外部の指導員を認めていない。つまり報酬の予算がつかないのである。
柏原氏は平日は会社勤めをされ土日の2日間だけ学校に来て指導される。そして1週間分の練習メニューを指示し、週末に練習をチェツクするという指導方法であった。また「全員野球」をスローガンに選手同士、監督と選手のコミニュケーションをはかり人間関係の確立に努められた。
そして、昨年夏の東東京予選大会で、我が母校はベスト16という成績を挙げたのである。
公立高校だから資金難で厳しい。練習試合や大会には試合用のニューボールが必要となるが、それにも苦慮しているというのが実態。遠征には父兄が車を動員している。
東東京大会予選。強豪の私立校高は試合前の練習でもニューボールを使っているが、我が 葛商は使い古しの、それも選手たちが修理したボールを大事に使っている。それを見た対戦相手高から「貧乏チーム」と笑われたそうである。
「でも、見ている人はみているんですね。物を大切にする心という美談で書いてくれたんです」と山下敬偉子校長。

監督の報酬や維持費は野球部父母会、PTA、そして同窓会の援助によって賄われた。監督の報酬も週4時間分を何とかやり繰りして支払ったそうである。監督からは報酬は要らないということでした。
山下校長は、監督はまだお子様も小さく、家族サービスが必要なのに家庭を犠牲にしてまで指導して下さる姿に頭が下がる思いをされたといいます。また、今回のベスト16進出も、前山田監督が作りあげたチームを引き継いでのことで、自分の力ではないとあくまで謙虚な姿勢に心打たれます。
7月23 日の芝浦工大戦、初めて奥様がお子さんを抱いてご両親と観戦されたそうです。
「奥様やご両親のご了解を、ようやく得られたとホットしました。子供たちと監督との素晴らしい人間関係を見てもらえてよかった」と山下校長は喜んでおられました。

今、都立高校は統廃合の波にさらされ、どの学校も生き残りをかけて必死の戦いが続いている。学校教育のなかで、クラブ活動は野球部だけではない。野球部だけに突出して力を入れることに批判がないこともない。しかし、メデイアが大きく取り上げてくれるものは野球をおいて他にない。野球部の活躍が葛飾商業をPRする大きな力となっていることは間違いない。
また、野球部の活躍が他のクラブ活動や勉学に波及効果を及ぼしている。

また、外部から指導者を招いたことで,新しい風が流れている。私は、柏原監督の姿に修徳高校野球部のそして修徳高校の人間教育の素晴らしさを見つけました。
柏原 監督は、あくまで担当教諭が派遣されるまでの「繋ぎ」と学校側は考えていましたが、柏原監督は「報酬はいらないから、繋ぎではなく、長く監督をやりたい」との意向を強くもっておられ。今年も監督を勤めます。

野球部の生徒たちが地域の方々に受け入れられているというニュースにも接しています。学校の近くに南新宿児童館があります。同窓会がパソコンを寄贈し、葛商生がパソコンを教えに行くというポランティアが、今、行われています。児童館を中心に地域のお祭りが毎年行われるのですが、お年寄りが多くなって、後片付けが大変なのだそうです。応援の要請を受けた野球部が、後片付けに駆けつけ、地域の人たちからしてみれば大きな荷物も「あっという間に」片付けてしまったそうです。毎年苦労していた地元の人たちが感激して「感謝状をあげたい」という声が多かったといいます。仲村館長によれば、地元や子供たちに確実に葛飾商業の認知度が上がり、児童館の子供たちのあこがれになっているそうです。平成18年2月の入学試験は、商業科の倍率が4倍を越えたそうです。
柏原監督のもと、我が母校の活躍やいかに、といったところです。

ところで、第76回選抜高等学校野球選手権で沖縄県代表として南の果ての石垣島から八重山商工が出場しました。伊志嶺吉盛監督(52)は午前中のゴミ収集で生計を立てているという。月収なんと5万円。高校野球の監督の年収が1千万円超えるという話もあるなか、我が母校葛飾商業の監督と同じく報酬ではなく純粋にボランティアの心で高校野球に取り組んでいる。(実力は八重山商工の方がはるかに上ですけれど)
葛飾商業と同じく、こちらの野球部も資金に苦労されている。練習試合も高校が3校しかない石垣島内では相手に限りがあり、同じ相手とでは技術の向上がない。どうしても島外に練習相手を求めざるを得ない。金に糸目をつけずにガンガン勝ち抜くのも高校野球なら、日の当たらぬ日々を、時間をかけてじっくりと作りあげたチームも高校野球である。八重山商工の現在のチームは伊志嶺吉盛監督が04年、小学3年から教え育て上げたメンバーである。このメンバーは伊志嶺監督のもと、少年野球全国大会で優勝、中学硬式野球世界大会第3位の実績を残してきた。

その、八重山商工は噂どおりの力を見せた。


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八重山商工・大嶺17Kだ初勝利だ
      =2006年 3月25日 (土) (スポーツニッポン)=

写真3
17奪三振の大嶺を中心に甲子園初勝利を喜ぶ
八重山商工の選手たち

 第78回選抜高校野球大会第2日は24日、甲子園球場で1回戦3試合が行われた。第3試合では日本最南端の八重山商工(沖縄)が甲子園初出場でうれしい初勝利。エース大嶺祐太投手(3年)が高岡商(富山)打線から先発全員、毎回の17三振を奪えば、打線も10安打で5点を挙げるなどして2回戦へ駒を進めた。1回戦屈指の好カードとなった第2試合は横浜(神奈川)が川角謙投手(3年)が2安打完封で履正社(大阪)を下した。第1試合は岐阜城北(岐阜)が一関学院(岩手)に逆転サヨナラ勝ちした。

 【八重山商工5−2高岡商】
  快投を演じたマウンドで大嶺が開けっ広げな笑顔を見せた。ベンチでは伊志嶺監督も笑っている。6000人が埋め尽くした一塁側観客席。離島からやってきた野球の子供たちを球場全体が祝福していた。「甲子園はテレビで見るより小さかった。きょうは死んでもいいと思って投げた」

 がむしゃらに直球を投げ込んだ。2回まで6つのアウトはすべて三振。5回、相手走者がベースを踏み忘れて2失点が幻になる幸運も味方した。中盤以降は変化球主体に切り替えて5安打2失点。奪三振は先発全員、毎回の17を数えた。

 伊志嶺監督がつくった少年野球チーム「八島マリンズ」で小2から指導を受けた。私財を投じてマシンやネットを購入した熱血指揮官とともに、小6で全国優勝。選手の中学進学に合わせて創設した硬式の「八重山ポニーズ」で世界大会3位に輝いた。沖縄本島や県外強豪校からの誘いも多かったが、伊志嶺監督とともに八重山商工で野球をすることを選んだ。指揮官が就任した03年、厳しい指導に選手が次々と辞め、部員は2人になった。しかし、小学生時代から手塩にかけてきた大嶺らが翌年入学し、甲子園への道が開けた。

 大嶺は家庭の事情で3歳から祖父母の下で育った。高校入学時は1人だけ定時制。仲間と練習できるのは朝だけだった。自己負担だった島外への遠征費を、漁師の祖父・武弘さん(67)は黙って工面してくれた。昨春全日制に編入したが、直後に右肩故障で7カ月も戦線を離脱。練習する仲間の姿を見るのもつらく、誰もいない砂浜を走って耐えた。定時制時代は一緒にゴミ収集車に乗り、誰よりも長い時間を一緒に過ごした監督を「一番尊敬する人」と言う。その伊志嶺監督はエースを「投球は普通。でも、きょうは表情が良かったなあ」と目を細めた。

 スタンドには孫の雄姿を見つめ、涙ぐむ武弘さんがいた。そして、こうつぶやいた。「優勝するまで漁は休みさぁ」――。

写真4
センバツ勝利の瞬間、スタンドは歓喜の渦

 ≪ベース踏み忘れで明暗≫
5回のプレーが明暗を分けた。1点差に迫った高岡商は、なお2死満塁として北田が中前に運んだ。2者が生還して逆転と思われたが、八重山商工の三塁手・羽地が元雄三塁塁審へアピール。二塁走者・小泉が三塁ベースを踏んでいないとの主張が認められてアウトとなった。公認野球規則の7・12では「2死後、走者がアピールによってアウトとなり、それがフォースアウトの形をとったときには、他のすべての走者が正規に本塁に触れていても得点は認められない」とされており、中ゴロ。スコアボードに1度記された「3」の数字は再び「1」に戻された。「三塁ベースから離れた場所にスパイク跡があったからアウトにできると思った。習慣でいつも見ている」と羽地はしてやったりだった。

 ≪金城長、流して大会1号≫
八重山商工・金城長が初回に大会第1号を放った。左打席から流し打った打球は左翼ポールを直撃。二塁付近で止まりかけたが、審判の本塁打のジェスチャーに手を叩いてホームへ戻ってきた。「風にうまく乗ってくれました。石垣島の人に勝利をプレゼントしたかった。勝ててよかった」とほおを紅潮させた。

 ≪富山・高岡商 小泉「頭が真っ白に」≫
幻に終わった5回の逆転劇。三塁ベースを踏み損ねた小泉は「踏んだつもりだった。(アウトの判定を聞いて)頭が真っ白になった」。その後は打線も意気消沈。宮袋監督は「(序盤に)ミスが多すぎた。それが5回のプレーにつながった。焦る気持ちが踏み忘れにつながったんだろう」と肩を落とした。

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