同窓会会長 提橋 和男(2009.11.10)
秋季大会を翌日に控えた9月21日、祭日の月曜日。母校グランドにて、都立荒川商業との練習試合が行われた。
荒川商業は葛商野球部の前監督山田先生が平成17年に赴任された高校である。 山田先生と半沢先生が力を尽くして野球部再建を図っていた途上で、両先生の離任で、葛商野球部は指導教諭がいなくなってしまうという重大な事態に陥ってしまった。
異動された前監督山田先生は、知人で修徳高校OBの柏原周作氏(当時28)を母校に紹介して下さり、山下敬緯子校長(当時)の決断で、都立高校としては異例の柏原周作氏が監督に就任された。だが、ここで問題が起こる。
都立高校は外部の指導員を認めていない。
つまり報酬の予算がつかないのである。
就任当時、柏原氏は平日は会社勤めをされ、土日の2日間だけ学校に来て指導されるという体制であったため、指導方法も工夫がこらされた。1週間分の練習メニューを指示し、平日は生徒主導で練習し週末に監督がチェックするという指導方法がとられた。
また、バラバラになりがちなチームを、落合主将をリーダーに、「全員野球」をスローガンに掲げ、選手同士、監督と選手のコミニュケーションをはかり、人間関係の確立に努めチームの結束を図っていった。
その結果、柏原監督は、前任の山田監督の築かれたチームに柏原イズムを導入し、就任一年目の夏の東東京予選大会で、さまざまな障害を乗り越えて、ベスト16という成績を挙げたのである。
柏原監督にはモットーがあった。葛商野球部監督を引き受けるにあたり、今風の都立高校野球であったら引き受けるのを止めようと思っていた。しかしグランドに立って、全員丸刈り、姿勢もきちっとしていた選手を見て「やろう」と思ったという。
春の大会では野球部の選手が足りなくて、他のクラブからの応援を得て臨んだが、1回戦敗退。当時の野球部の選手は「あの試合が葛商野球部の原点だった」「忘れられない試合」と後に回顧する試合となったのだ。 その試合を土台としてチームとしてまとまった葛商野球部は夏の東東京大会でベスト16という成績を収めることができ、その後17年にもベスト16の成績をあげ、都立高校の強豪校のひとつに数えられるまでになったのである。
柏原監督は東京都にとっても、葛飾商業にとっても外部の人間。葛飾商業には葛飾商業の指導方針、教育方針があるわけですが、柏原監督の「野球を通じての人間つくり」の理念に対して山下校長を中心に、教職員の支えがあって、野球部の風が葛飾商業の校風を変えていった。 この様子をつぶさに見てきた私は「私立高校がスポーツを隆盛にさせることによって校風を変えていますが、都立高校でも可能だったんですね」と山下校長に問うと、山下校長は「当然です。都立高校もやればできます」と確信に満ちた言葉が返ってきた。
山下校長は、ピンチをチャンスに変えて、柏原氏を葛商に招くことによって、校風をさらによい方向に発展させる道を見出されたのだと、私は思った。
一方、練習試合の相手の荒川商業も今年の夏の大会では葛商野球部を上回る成績を挙げている。
試合前の練習もキビキビとして、全員が声を出している。特にキャッチャーは全体をみて声を出している。
練習のレベルをみると、都立高校とは思えない鍛え方をされていると、素人の私は感じた。葛商から赴任した山田先生が荒川商業でも、今日の荒川商業野球部の土台作りをされたのかなあと、そんな思いがわいたが、調べてみると前任監督は野上和恵先生で東京都の「とうきょうの教育83号」に紹介されている。
試合は、両校の投手が3人ずつ登板したが、どの投手も制球力を発揮して、試合としては(荒川商業にとっては残念だったかもしれないが)好試合になった。。 ちょうど1年前、城東高校との練習試合では、葛商の投手の制球が悪く、登板する投手がみな四球の連発。相手チームにも失礼な試合だと感じたことがあったが、今日の試合は投手力が引き締まれば試合がつくれるということを示した試合であった。
そうした意味からも、今年の新チームは投手が3人ともしっかりしているので期待がもてそうだ。
この時期は新チームを育てていく監督の力量が試されている時だ。昨年は柏原監督の檄が印象に残ったが、この試合では、試合中、三塁側の荒川商業ベンチから監督の選手を指導する檄が飛んでいた。三塁側ベンチには強いチームに育っていく予感を感じさせる空気が漂っている。 荒川商業の野球部をみて、葛飾商業だけではなく、かつて都立高校が野球にこんなに力を入れていた時代があっただろうかと思った。今日の練習試合は私にとって「都立高校の野球部の試合とは思えぬ異次元の世界」であった。
今、都立高校は統廃合の波にさらされて、生き残りをかけて戦っている。荒川商業も生き残りを賭けている。「とうきょうの教育83号」によれば荒川商業は「文化・スポーツ推薦入試」の実施でクラブ活動の強化を図っているほか教育科目についても新しい方向で力を入れている。
葛飾商業も安閑とはしていられない。野球の試合で勝った、負けたのライバルではなく、学校の存廃、生き残りを賭けた最終戦争へ向かってのライバル同士の戦いなのである。 クラブ活動は数々あるのに野球部だけ特化するという批判もないわけではない。しかし、どの高校も野球部にも力を入れていることは今日の試合でもヒシヒシと感じられた。野球は、メディアが大きく取り上げる。これを利用しない手はない。どこの高校も野球部で学校を引っ張っていこうという方向で進んでいるようだ。この夏の大会でも都立高校の健闘が目立ったことでもそれを裏付けている。
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▲三塁側・荒川商業ベンチ▲ |
柏原監督は「感謝をかたちに」という心を大切にする指導をされておられると聞いている。そのひとつに葛飾商業と試合をした相手チームには、勝敗とは別に、「葛飾商業と試合をして何かを得ていってほしい」という思いが監督にはある。相手チームへの感謝の心で、それを実践するのは選手やマネージャー、そして応援の人たちかもしれない。
今日の試合で、荒川商業は葛飾商業から何を得て頂けたのだろか。柏原監督には今日は○○を感じてもらったというテーマがあったと思うのだが・・。 試合が終わって帰りがけに、試合中監督から幾度か指導を受けていた、荒川商業のキャッチャーが一塁側のブルペンに所用で来たのを機会に、私は「がんばって」と声をかけた。「はい」と元気の良い返事が返ってきた。こんな私の一言も柏原監督の「相手チームへの感謝の心」の表現のひとつになったかな、と考えたが、 実は荒川商業のチームからもらった力が、私に「がんばって」と声をかけさせたのだと、後から気が付いた。
柏原監督を迎えて5年目。野球部や野球部の選手が発する風が、他のクラブや生徒たちに波及し、葛商の校風を変えた。
確実に、確実に、葛商が良くなっている。クラブ活動の活性化をはじめ、生徒たちの活躍が目覚ましくなった。 このことは、先にも書いたが、前・山下校長はじめ全教職員のお力の賜物であることちがいはないが、前・山下校長が決断された柏原監督の招へいによる、新しい風が影響している事も間違いない。
東京都の規定に、外部指導員の規定はなく、柏原監督の身分保証は収入を含めて一切ない。 卒業式でも教職員席や来賓席ではなく父兄席で参列されておられる。しかし、生徒にとっては野球の指導者であり、人生の恩師となられる方ですから、柏原監督は、他の先生方と同じ、あるいはそれ以上の存在であるかもしれない。 教育は、知識を詰め込むだけでなく、人づくりという重要な面をもっている。この4年間を振り返って、山下校長、柏原周作氏という「人」を得たことは葛飾商業にとって幸いなことであったと私は思っている。 このように教育上の顕著な効果が表れている例が、葛飾商業にあるだから、東京都の規定に外部指導員制度が取り入れられる動きが起こって欲しいと私は念じている。そして、その風を起こすのが葛商の役目かもしれない。 同時に、柏原周作氏のような人材を輩出する修徳高校の教育の素晴らしさを思わずにいられない。さらなる、葛飾商業の躍進に期待している。
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