葛飾商業には燦然と輝く50年の歴史と伝統がある
同窓会会長 提橋和男
葛飾商業高等学校50周年おめでとうございます。
昨年(平成23年)6月5日、同窓会総会が開催されました。当日、私の担任の石崎章生先生をはじめ、葛飾商業草創期を支えた諸先生方と昼間一雄副校長先生をはじめとする現役の諸先生方が一堂に会しました。草創期の先生方は、当時おそらく50年後の葛飾商業の姿を見ることなど予想だにしていなかったと思います。また現役の先生方も50年前の葛飾商業の息吹を感じることを想像されていなかったでしょう。昼間先生のお話に「葛飾商業が立派な学校になったことに感動した」と草創期の先生からお言葉をいただきました。私は50年の時空を超えて、葛商の歴史が一つになったことを強く感じました。そして、わが母校葛飾商業には「誇るべき燦然と輝く歴史と伝統」があることを改めて感じました。
私が第一期生として葛飾商業に入学したのは昭和37年4月です。新設校で校舎も未完成、入学当初は教科書も間に合わなくて、先生方手作りのガリバン刷の教材を使いました。あるとき山田市郎校長先生のお話を伺う機会がありました。「君たちは新設校に入学して、不安があるかもしれないが、心配はいらない。私は立派な優秀な先生方に本校に来ていただいた。君たちは安心して勉学に励んでもらいたい。」ゼロからスタートした葛飾商業は、教師も生徒も一丸となって、まさに校歌にある「開拓精神のわきたつところ」だったのです。そして就職の実績もない一期生の就職は、大手金融機関、一流商社企業などへの就職率100%。「新設校で歴史もない葛飾商業が、よくあれだけのところへ入社できたものだ」と周囲から驚きの目を持って見られたそうです。
50年の歴史を振り返ると、その時代時代における苦労がありました。社会的にも商業高校の存在感が薄れ、10年前には少子化による都立高校の統廃合が行われ、葛飾商業の存立が危ぶまれるほどになりました。そうした中、学校改革に取り組まれたのが第10代学校長(平成11〜14年度)高橋久子先生です。商業高校の特色、長所を生かすために「検定合格率100%の維持と退学率3%以下に抑えること」に取り組まれました。そして創立40周年記念式典。式典に参加した生徒の立派な姿に改革の成果が高く評価されたといいます。
第11代学校長(平成15、16年度)山崎和夫先生は、生活指導を強化し風紀面の改革に、第12代学校長(平成17〜20年度)山下敬緯子先生は、運動部の活性化による人材形成に力を注がれました。山下先生は就任時に野球部を指導できる先生がいないと言う事態に外部指導員として柏原周作氏(修徳高校OB)を招聘されました。柏原氏が持ち込んだ外部からの風は、葛飾商業に大きな変化をもたらしたと思います。そして野球部の活躍(平成17、19年東東京大会ベスト16)が葛飾商業の存在感を大きく高めたことは間違いありません。野球部の生徒の姿に感動された主婦の方からのFAXをいただいたのもこの時です。こうして葛飾商業は南新宿児童館の仲村清美館長(当時)から「山下先生の時代に葛商がどんどん健康体になっていく様子が目に見えて分かりました」と言っていただけるまでになったのです。学校改革の成果は、都立高校統廃合の荒波を乗り越えて葛飾商業の「生き残り」につながったと思います。
私は商業高校の存在意義が、もっと高く評価されるべきだと思います。商業高校では商業人としての理念、国家社会の中にあって商業人は如何にあるべきかを学びました。昨今の日本経済の低迷は、商業高校で学んだ姿とは相反するものです。かつては商業高校を出た人々が日本経済の中堅で活躍していました。大企業の役員にも商業高校を出た人々がおられました。しかし、時代の流れとともに大学生が増加し、商業高校を出た人々がその座を追われていったのと符号を合わせるように、日本経済の低迷が始まりました。明治開闢以来、20年以上も不況が続き、財政赤字が1千兆円。この先光明も見いだせないという、このような時代がかつて存在したでしょうか?日本人の資質が問われています。今こそ商業高校再評価の時だと思います。
高い検定合格率、高い就職率、そして教育熱心な教師団。山田市郎先生が目指した葛飾商業の理念が、伝統として今も立派に生きています。教育界では高等学校学校長までなられた一期生の橋本喜一氏をはじめ、教諭になられた卒業生が多くおられます。過去の記念誌には小・中学校を含めると学校長を含め、その数しれずとあります。
私は「葛飾商業には燦然と輝く50年の歴史と伝統がある」と胸を張って言えます。混迷の時代、日本を支える人材の輩出に、葛飾商業の改革は小山公央前学校長、石公一校長へ引き継がれ、さらに進化をしています。今後100周年に向けて、葛飾商業がますます発展され、混迷の時代を打破する多くの人材を世に送り出す学校となるよう、祈ってます。
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