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待望の「校歌」も完成
秋には待望の「校歌」が完成した。11月2日に行われた「校舎落成式」とあわせて、「校歌発表会」が開催された。作詩は勝承夫、作曲は平井康三郎が担当した。勝は葛飾野高校、綾瀬中学校など、区内の校歌をたくさん手がけており、平井は「雪の降る町を」「平城山」など、おなじみの曲で知られる著名作曲家だ。
「校歌発表会」には2人とも出席、平井自らタクトをとった。音楽部の斉唱の後、参加者全員で大合唱。晴天の秋空に、美しい歌声が響いた。
葛飾商業高等学校校歌
作詩 勝 承夫
作曲 平井康三郎
- 希望かがやきカある
光はここにわれらが上に
自主の意気たくましく
堂々と進むもの
真理を求め正義を愛す
葛飾商業栄ある母校
- 広く見晴らす野に町に
文化は興り世紀はひらく
新しきこの星座
たゆまざるこの泉
開拓精神わきたつところ
葛飾商業はてなき未来
- 霞む筑波に夕雲に
明日待つ夢をはるかに語る
変わらざる友を得て
敬愛を胸ふかく
平和の理想楽しく築く
葛飾商業われらが母校
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体育館で感激の第1回卒業式
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1期生、2期生対面式
(昭和38年4月)
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第1回卒業式を終えて |
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昭和38年(1963年)2月28日、第2期工事が完了。翌39年(1964年)2月12日に第3期工事が完了した。ネギ畑の真ん中に、3階建てと4階建ての近代的な校舎が見事にそびえ立った。
山田は「次は体育館」と考えたが、体育館のない都立高校は多く、新設校が校舎に続いて体育館を建設することは難しかった。山田は都議会議員の村田に加え、衆議院議員の鯨岡兵輔にも支援を依頼、都の予算を獲得することに成功した。
体育館は昭和40年(1965年)2月に落成。3月10日の第1回卒業式は広々とした体育館で開催することができた。「卒業式は厳粛そのものであったが、卒業生は学校への哀惜の情たえ難く感涙する者多」と山田も述懐している。
昭和41年(1966年)には徹底的に校庭整備が行われ、スプリンクラーや吸水管もつけられた。昭和42年(1967年)12月にはプールも竣工。昭和43年(1968年)2月にはグランドに照明塔が設置され、定時制の体育の授業に使われるようになった。
ちなみにプール落成式が行われたのは昭和43年(1968年)7月1日。この日は雨で、翌年以降も、なぜかプール開きの日は雨になることが多かった。
開校後わずか数年で、施設・設備は都立高校の中でも屈指の学校に。教育面も含めて「東京都の モデル学枚」と呼ばれるまでに発展した。山田の手法には賛否両論あるだろうが、その力量は、だれしも認めざるを得ない。
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