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一番つらく、楽しくもあった
15期生の「移動教室」は昭和52年(1977年)7月21日から24日まで高天ケ原ホテルを宿舎に行われた。「オリエンテーリング」が実施されたのは7月23日。平坦で比較的簡単なBコースと起伏のあるAコースの2コースを設定、Aコースには男子グループの全部と女子の何グループかを割り振った。
早いグループは1時間少々で戻ってくる。最初のグループと最終グループの出発の時間差は1時間44分あったから、後のグループが出発する前に戻ってきた元気のいい男子グループもあった。順調なグループは迷いながらも、続々とゴールに到着した。
「途中で道をまちがえてしまって、田んぼのあぜ道をドロドロになつて歩いていったら、行き止まりになってひきかえしてきたり、一人しか通れないぐらいの幅の道で、すぐそばは急ながけだったりしてこわかったこともあったけど、とてもおもしろかった。やっぱし、途中は苦しくっても、そ
れをやりとげたあとの気持ちは何ともいえず良かった」(3組、須永裕美子)
教員はゴールしていないグループが心配だ。Aコース監視にあたった安倍、千野、小幡は戻ってこないグループの捜索にあたった。
第1ポイントの通過チェックカードを見ると、そこには到着していた。どうやら、その後、正反対の方角に向かったらしい。道があるような、ないようなところを進むと、遠くの方で話し声らしきものが聞こえる。
「葛商の生徒か」
「はい、そうです。先生ですか」
「待っていろ。いまそっちへ行く」
近づくと、疲れ切った3つの女子グループがひとかたまりになっていた。教員を見ると、全員が涙をこぼし、大きな声で泣きだした。
スタートしてから4時間余り、心細かったと思うが、このとき迷ったグループの1人は「一番つらく、楽しくもあったオリエンテーリングは一生の思い出」と語っている。
クラス対抗歌合戦で盛り上がった
「夕陽会」は宿舎の真にある西館山の山頂(宿舎から歩いて7〜8分)に腰をおろし、沈んでいく夕陽を見ながら、教員が「天国の箸(はし)」のストーリーを語りかけるもの。
黒々とした山並みの向こうにアルプス連山が連なり、眼下には雲海が広がる。空を朱に染める壮麗な夕陽が、あまりにも美しかった。あたりが真っ暗になっても、生徒たちはその場を動こうとせず、感動の余韻にひたっていた。
見栄えは悪かったが、意外においしかった「飯金炊事」やクラス対抗歌合戦で盛り上がった「キャンプファイアー」、第1部の親睦会で大爆笑、第2部のキャンドルサービスでしんみりの「キャンドルパーティー」など、どの行事にも、さまざまなドラマがあった。
教員の負担は大きかったが、「移動教室」は参加した生徒にも、そして教員にも、いつまでも忘れられない「宝石のような思い出」となった。(15期生の「移動教室の記録」を参照)
「森のくまさん」●相楽俊幸(元本校教諭、保健体育)
♪ある日森の中 くまさんに出会った
花咲く森の道 くまさんに出会った
このくまさんの歌は、昭和46年(1971年)入学の10期生が志賀高原・高天ケ原の校外学習の出発前日、9クラスが体育館で大きな声と手拍子で歌った。
熊さんのいうことにゃ お嬢さんお逃げなさい
スタコラサッサッサノサ スタコラサッサッサノサ
1日日の「キャンプファイアー」の時には、高天ケ原の東館山の裾に井桁を組み、輪になって座り、道路を一本挟んで対面する西館山の中腹に10本のトーチが点火され、橙色の炎が横一列に移動したり、円や四角になり、大きな1つの炎になる様は幻想的であった。
10の炎が1列になって西から東館山の井桁まで運ばれ点火、大きな火が天空を焦がし、燃え盛る炎のように、天にも届けと唄った葛商生諸君の「くまさん」の歌声で目頭を涙でぬらしたことを覚えている。
ところがくまさんが 後から追ってくる
トコトコトーコトーコと トコトコトーコトーコと
「夕陽会」という夕陽の沈む直前を観るプログラムの日であった。
西館山の山頂に一人ひとりになって座り、眼下に銀色の千曲川、点在する農家のカマドの煙、鳥が列をなして飛んで行く、村のお寺の鐘がゴーンと聞こえてくる、紅に染まった西の空に夕日が沈み、暮れなずむ中の葛商生諸君のシルエットが今もハッキリ残っている。
お嬢さんお待ちなさい ちょっと落とし物
白い貝殻の 小さなイヤリング
大広間で「キャンドルサービス」をやっていた時、都立東大和高校の写真部員が数人、廊下からカメラを向けて撮っていた。翌朝の会話。「何を撮りましたか」「炎を見つめ、涙している瞳を」。
2000年を記念し、9月17日、30年の年月を経て、10期生は柴又帝釈天「川甚」に集った。9クラス122人が参加し、9クラスの担任が全員招かれた。大きな輪がワクワクと胸踊らせて語り合い、笑った。内容の濃い進行には驚きました。「くまさんの歌を唄おうよ」と参加者で大合唱。
あら熊さんアリガドウ お礼に唄いましょう
ラララララララララ ラララララララララ
この感動は、私の教師生活で最高のものでした。25年間、葛飾商業高校で出会えた諸先生、生徒の皆さんに教師としての心をたくさん学ぶことができました。ありがとうございました。
「想い出がいっぱい」●中神孝典(元本校教諭、商業、向島商業高校)
♪古いアルバムの中に隠れて想い出がいっぱい
無邪気な笑顔の下の
日付けは遥かなメモリー
ピカピカ24期生の皆さん、お元気ですか?
1年生「那須オリエンテーション」の光景が今でも鮮やかに目に浮かびます。1泊2日の那須での移動教室。高校生活を題材に、クラスで話し合い、発表をしました。新しい仲間との、腕相撲大会、強風のハイキング、りんどう湖ファミリー牧場。
そして、集会の歌として「皆が歌える歌を」と思って選んだ歌が「想い出がいっぱい」でした。予想もしなかったあの大きな喝采。一番大切な想い出です。同時に、私の中で、教師という仕事の「こころの柱」ともなりました。
生徒たちに想い出いっぱいの高校生活を送って欲しい。そんな願いを持ちながら、今日まで、教員生活を続けてきた私です。振り返ると、私自身、出会った多くの生徒たちから、たくさんの想い出をもらうことができたことに気がつきます。
楽しかったこと、悲しかったこと、腹を立てたこと。学校という日々の中で、「こころ」が何かを感じない、あるいは動かないという日はありませんでした。
日光でのスキー移動教室でつくったドナルドダツクのゼッケンは大切にしていますか。修学旅行で撮影した神戸異人館での記念写真は。クラブで使ったユニホームやラケットは。授業で練習したソロバンは。そして校章や制服は。
どうぞ自分が存在した光景すべてを、想い出として、これからも大切にして欲しいと思います。私にとって「想い出がいっぱい」という歌は、大切な想い出になっていたので、その後、やたらとは歌わないようにしていました。
しかし、葛商での最後のクラス、28期生3年4組の卒業の時、もう一度、今度は喝采ではなく、涙の中で「想い出がいっぱい」を歌いました。卒業の喜びと、別れの寂しさと、想い出への追憶を感じて、「こころ」を込めて。
28期生卒業文集の『鉄人28号』に、N君がその歌詞を記念として載せていました。文集に目を落としながら、歌にならない歌となりましたが、精いっぱいに歌いました。そして、歌詞をつづったページの最後に「葛商に来て良かった」と言葉を残してくれました。 |
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