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    新校舎が誕生、新しい時代の幕が開いた−2
  ケヤキの大樹は「未来への希望」を象徴
  田中は施設検討委員会で、座間康祐(理科)、鈴木敏夫(社会)らと新しい校舎のアイデアを出しあった。現在、葛商の「名物」となっている、校門を入ったところにあるケヤキ・ベルサイユ型ガス灯・青年男女立像、時計塔、壁面のタイル画などは、このときにつくられたものだ。
  実は正門に植える木が問題になった。当初、教育庁は校内の黒松を活用しようと考えていた。学校側としてはヒマラヤ杉にしたかったが、ヒマラヤ杉は「移植後、根が張らない」「せん定に困る」との理由で、黒松に決まりかけた。
  ところが、ちょうど上野文化会館が増築されることになり、ケヤキの大木が邪魔になった。伐採するのも、もったいないからと、葛商に引き取らないかと打診がきたのだ。移植の費用も教育庁が負担するという。願ってもないことだった。昭和58年(1983年)2月に移植され、無事に根もついた。毎年、隆々と葉を繁らせ、気品のある姿を見せている。葛商生の「未来への希望」の願いを託したものだ。
  ガス灯はベルサイユ宮殿のガス灯を摸してつくられたもので、「国際的文化」のシンボルとなっている。

  「自主と協調」表した青年男女立像
  青年男女のブロンズ像は「自主と協調」を表したもの。葛飾区在住の彫刻家、富田憲二(とだけんじ)の作品だ。富田には、ほかに葛飾・上千葉公園のモニュメント、小岩駅前の公衆トイレの屋根の風見鶏、春日部駅前の石のモニュメントなどの作品がある。ストックホルムの公園にも「WOMAN」と題された作品が展示されるなど、国際的にも名前が知られたアーティストだ。
  青年男女立像の台座にはローマ字で「教えるとは希望を語ること。学ぶとは誠実を胸に刻むこと。1984年、富田憲二」とメッセージが刻まれている。
  立像も16年も経つと、酸性雨にやられ、痛みが日立つようになってきた。平成13年(2001年)、富田に補修を要請。富田は快く引き受け、葛商にやってきた。その際、用務主事の田邊恵子が富田にメッセージの意味を尋ねると、「台座のローマ字は、フランスの詩人ルイ・アラゴンの詩で、『ストラスプール大学の歌』の一節を刻んでいます。僕のどの作品もそうですが、バックからの視線が好きで、このモニュメントも後ろ側をかなり力を入れて作りました」(「図書館だより」2001年5月31日号)
  と語った。富田の作品集には「ともしび」という題名で、後方から撮った、この立像の写真が掲載されている。

  熱い思いが伝わってきた−装飾壁
  
責任の壁
新校舎の壁の材質も、いろいろと検討が行われ、「学校に潤いを持たせたい」と通路の正面壁面はタイルが使われることになった。タイルの色を選択しているうちに、「タイルだけでは単調すぎる。カラータイルで何かを表現し、壁をもっと生きいきさせよう」と、図案化が検討されることになった。
  結局、「校是」をモチーフにした抽象的な図柄を採用することで落ちついた。ただ、新校舎は5階建てで、売店の壁もあり、「校是」の「自由・責任・勇気・和」では足りない。急きょ「前進」「飛躍」が加えられた。
  具体的なデザインの構想は施設検討委員会が担当。イメージを線や図形にしてモチーフをふくらませ、何度も修正した後、下絵は完成した。下絵はデザイナーによって、さらに表現力や美的感覚が加えられ、現在の装飾壁が誕生した。
  1階は「勇気の壁」。ヒストグラムのような形で、「力強さ」を表した。
  2階は「和の壁」。輪をつなぎ、「連帯感」をシンボライズ。
  3階は「責任の壁」手を抽象的に描き、「実行力」を象徴した。
  4階は「自由の壁」。太陽と光芒で、「のびやかさ」がこめられた。
  5階は「飛躍の壁」。人物の跳躍する姿から、「勢い」を表現。
  売店の壁は「前進の壁」。無限に続く途が象(かたど)られた。
  「完成後22年も過ぎましたが、今なお壁面は生き生きと輝きを見せており、当時の先生方の熱い思いが伝わって来るようです」
  と現校長の高橋は語る。

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