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初戦で敗退し、応援席へあいさつに向かう古川工ナイン=甲子園 |
みるみるうちに、スコアボードの数字が増えていった。二回までに古川工が背負ったビハインドは9点。初出場で甲子園の雰囲気にのまれ、本来の動きを失っていた。
宮城大会を勝ち抜いた理由を、間橋監督は「団結力」にみる。大量点を追う中で「基本に立ち返れ」とげきを飛ばしたのは選手同士の声掛けが少なかったため。その声でチームの硬さは取れ、先発の山田は三回以降、被安打2と得点を許さず、「野手の声で、気持ちを切らさずやれた」。打線も単打や四球でつなぎ、150キロ超の直球を持つ好投手の北方悠から4点を奪った。
昨秋の県大会地区予選で敗れたチームに、指揮官は「まとまりがなさすぎる」と容赦なかった。6時間にも及ぶミーティングで、学年に関係なく不満をぶつけ合った。漂うもやもやが晴れ、チームが一つになった。
東日本大震災では古川工も照明が倒れ、自宅が倒壊した部員もいた。遠方の部員は移動手段も失ったが、間橋監督は「自転車で来るだけでも筋トレになる」とできる限り選手を集め、ボランティアに励んだ。春の選抜で東北が被災地を活気づけたのを見聞きし、甲子園への思いを強くした。
間橋監督は、団結の象徴としてメンバーの名前を自身の帽子に自筆させた。「やるべきことは出せた」と指揮官。今野主将は「(被災地に)元気や勇気を与えられたならよかった」と流れる涙を拭った。(小川寛太)
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自宅で地震でほぼ全壊した記録員の佐々木元気君の母、
由美さんは古川工の逆転を信じ声援を送り続けた
=8日、阪神甲子園球場(佐藤克史撮影) |
2011.8.8 22:50
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